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製作意図

映画の製作にあたって


 現在、川原園井堰から水を引き、米を作る農家は950 世帯以上にのぼる。水あっての米づくりであるという意味において、堰は農家の生命線と言える。しかし、田に引かれる水が、柴堰によって串良川から取水されていることを知る農家は意外に少ない。
 この映画のテーマの一つは、営農の近代化が我々の生活に何をもたらしたのか、そのことを問いかけることである。


 伝統的な村落共同体は解体され、個々に分解された農家の間に、カセイの形で労働を交換し合うようなこともなくなりつつある。そこでは、共同作業に依存しない、機械による高効率なコメ作りの方法が模索され続けてきた。その代表的な手法として圃場の集約と用水路の地下パイプライン化があった。あちこちに点在した小さな水田は機械の入りやすい大きな区画に再編成され、個々の田んぼには、給水バルブが取り付けられた。そして、蛇口を捻れば、いつでも水が供給されるという状況が生まれた。
 圃場整備は、農家の負担を軽減し、収量の安定化へとつながったが、その一方で、個々の農家で完結する新たな営農のスタイルは、人と人との関係性、あるいは、見えづらくなった水の流れは、人々の水に対する意識を希薄にさせることとなった。圃場整備の背後には、農政の矛盾、担い手不足や高齢化など、現代の農業が直面する様々な課題が横たわる。しかし、この映画では、あえてそこには深く切り込まない。 
 描くべきは、その現実の中で人々が、いかなる技術を選択し、水との関係を築いてきたのかということであり常にその葛藤の間に存在してきた川原園井堰の履歴をただ丹念に追うということである。
 映画の基底を成すのは、一年を通じた米づくりと、それを支える灌漑施設の維持管理という極めて地味な風景である。そして、その一年を通した農家の暮らしの中に、川原園井堰の「柴掛け」が、いかに組み込まれているのかを記録したい。特に堰の架け替えから取り外すまでの一連の流れとそのしくみ、そして川原園井堰の歴史的変遷を描きたい。しかし、それは、堰の希少性や歴史的価値を訴えるためではない。この独自の構造が、川の治水や水の分配、担い手の変容など、堰を取り巻く社会との相互関係の中でどのように成り立っているものであるのかということを伝えたい。

 描くべきは、柴堰の技術に込められた等身大の思想である。自然と折り合いをつけ、人々の連帯の中に生きる農家の手が、毎年一つの堰をつくりあげる。できるかぎり自分たちの手で、できるだけ自分たちの方法で、そして美しく。


 水田の土を起こし、水を張るという技術は、かつては、もっと人間の傍らに存在していた。そしてそういった手の延長線上にあったような技術は、自らそこに改良を重ねたり、或いは、より生産性を高めるために工夫を凝らすことは、人間にとって何か根源的な喜びをもたすものではなかったのだろうか。自らの手の感覚の延長線上に何かを生み出し、そしてそれを育てることそのものが喜びであり、祈りであり、そして生きることそのものであった世界が、何か失われていくのではないかという不安感がこの映画の製作に向かわせている原動力になっているのではないかと感じている。


 川原園井堰の技術を描くその背後に、いつの時代においても変わることのない、なにか人間らしく自然の中で生きていくことの根源のようなものが滲み出てくれると、映画としては成功なのではないかと思う。そして、それが「現在」に、この映画をつくることの意味ではないかと考えている。 
 

西村祐人
「柴井堰と生きる」監督

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